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国境なき医療システム

キューバの医療は、その技術もさることながら、国内に設けられたシステムは更に驚かされる。 キューバでの医療体制は、5段階に区分けされる。1段階目は、ファミリードクターといい、1区画(300人程度の住人)にひとつの割合で診療所『コンスルトリオ』が設けられている。ファミリードクターは、自分の診断する地区に定住することが義務づけられていて、日頃から細かく住民の健康状態を把握し、普段のちょっとした体調不良ならばば自分たちが治療にあたる。そして、症状が重くなった患者は、医療段階を更に上へあげて対応するのである。 革命前、キューバ全体の医師の数は6250人。そのうち医師の70%は、首都ハバナに集中していた。革命後は、医者のうち半分の3千人が国外へ出て行った。その為、保健指数が第3世界でトップにも関わらず、それをたったの3千人でまかなわなければならなかったのである。  革命後、農村地区を中心に、何百もの病院や診療所を建設し、新たに何千人もの医師や看護婦を養成した。革命当初医学校が一つしかなかったにも関わらず、翌年1960年には、農村医療システムが設けられ、1975年までには、58ヶ所の病院が設立されたのだ。更に伝染病と寄生虫の根絶を目標に、1962年からワクチン接種のキャンペーンが進められ、マラリヤやジフテリアも1970年には根絶するなど快挙を起こした。更に結核死亡者も1979年にはいなくなり、キューバは最初にポリオがなくなった国となったのである。  1978年、フィデルは、「キューバの医療は、第3世界の医療の防波堤になるだろう」と宣言。 1980年代には、政府は近代的なワクチンなどの実験室やバイテク用の大規模なセンター開発に何百万ドルも投資した。1980年代後半には、髄膜炎B型のワクチンを発見し、特許を取得したのである。それは、現在米国においても使用しているのである。 ソ連崩壊後は、食糧難に追い込まれ、国民の栄養が途絶えてしまう。そんな過酷な数年間にも、万全な医療の取り組みによって国民が餓死するような大きなダメージに至らなかったのである。 1999年には、ラテンアメリカ医科大学が開設され、医師になる為の総合医療プログラムが設けられた。これは、ラテンアメリカやアフリカ諸国など貧しい家庭出身者が対象に、期医療に従事するための総合基礎医師養成が6年間施される。このプログラムでは、無償で授業が受けられ、その間学生には生活費まで保証されるのだ。卒業後、学生に定められている責務は、その国の貧しい地域で働くことであり、現在、世界24ケ国から約9000人の学生が学んでいるのである。 フィデルは、敵対として扱われている米国に対しても、黒人コミュニティの深刻な医療問題を危惧し、2001年、米国NYでの講演中には、「米国においては医学の学位を得るのには20万ドルかかる。我々は、それを支払う余裕がない貧しい多くの若者たちに、奨学金を提供する準備ができている。卒業後は祖国米国へ戻り、貧しき人々に医療を施さなければならないということだけだ」と語った。 そこで現在、ラテンアメリカ医科大学には、毎年最低でも米国人500人の医師を無料教育するよう準備され、多くの米国人生徒がプログラムに参加しているのである。 そのような医療の取り組みによって、キューバには莫大な医者の数がいる。そこで現在、国際的民間援助団体である "国境なき医師団" には、多くのキューバ人医師が参加しており、彼らは世界中の天災や深刻な伝染病の被害を受けた国々へ、迅速に駆けつけるよう万全な体制がいつも取られているのである。 更に2005年には、キューバ独自であらゆる国境を越えて人命を救うために、国際的医師ブリガーダが創設された。それら組織は、2005年に起こった米国での災害、カトリーナ・ハリケーンがきっかけで発足したのだ。 カトリーナの被害を知ったキューバ政府は、米国に対して真っ先に支援の申し出をした。当時キューバで支援のために用意されたのは、医師1500名。彼らは出動命令を待ち構えていた。しかし、その後米国国務省のスポークスマンが記者会見を行った際には、カトリーナによる被害に対して援助や支援を申し出た国や機関のリストに、キューバはなかった。 その後、フィデルは演説で、「長いリストの中にキューバの名前はなかったが、多分我々は支援を申し出た最初の国であったと考えられる。我々の立場を憤激とか不満と考えてもらっては困る。ハバナの米国利益代表部のリー副長官には、宣伝と受け取られるのを望んでいないと言ったことで、通訳上の誤解が生じ、米国は公表しなかったのかも知れない。私は、キューバの名前が、意図的に削除されたと言っているのではない。意図的に削除されたのであったとしても、我々は気にしない。我々は、良い評判を得たり、感謝されたりするために何事かを成したことはない。猛烈な地震が、ニカラグアを襲った時、独裁者ソモサはまだ大統領だったが、キューバの野戦病院と医師たちは最初に救援に駆けつけたメンバーの一員だった」と述べた。 そこで、キューバは国境を越えて活動を支援する独自のブリガーダを設立した。過去に独立戦争で戦った米国の医師を称えて、ヘンリー・リーブと命名。医師たちは、疫学の知識を持ち、二ヶ国語を話し、健康状態が良くなければならない条件がある。 「ハリケーン、洪水、その他の天災による深刻な問題に直面するどんな国も、彼らは援助するだろう。そして、伝染病に対する戦いにブリガーダを使うことができる。もしも、先進諸国が、アフリカでエイズと戦うと決めるならば、こうした状態下で、働く準備ができている医師たちを必要とすることだろう。」とフィデルは語った。 そして、2005年のパキスタンの地震では、野戦病院と診療所を設立するために2200人の医員が急遽パキスタンへ派遣されたり、その年の12月には、凍結したヒマラヤへ救護活動を行い、極寒の山中でテントを設置し、そこで3500人もの手術が実施されたのだ。 キューバでは、医師と患者の比率は世界最高値である。現在キューバ国内には、現在8万人の医師がいる。国民の平均寿命は、76歳と先進国並に高く、医療レベルでも欧米をしのぎ、現在では多くの英国医師などがキューバに研修に来るほどのハイレベルを誇っている。更に乳児の死亡率は7.3%と、世界193ヵ国中158位。エイズウイルスの感染率は0.07%と世界で最も低い。 このような医療技術から、現在ベネズエラから約10万バレル/日の原油を特恵条件で輸入する一方、2万人もの医師や看護師団をベネズエラに派遣するなどの貿易が行われているのである。 また近年では、キューバの医師を中心とする3万人近くの医療関係者が各国で献身的な医療活動を行い、『奇跡手術』と呼ばれるプロジェクトで2年足らずの間にラテンアメリカ地域28ケ国の貧困層48万5千人に、白内障などの先端の眼科手術を無償で施したのだ。  このように、キューバでの医療技術は毎年向上し、画期的新薬や治療法が相次いで開発されている。また近年でも首の癌や乳癌などの最先端の治療薬が開発されるなど、世界からも大きな期待が向けられているのである。

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