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キューバの歴史

キューバ島に人が最初に住みだしたのは、紀元前3500年頃、最初の居住者は漁労や狩猟採集民のシボネイ族であり、その後、アラワク諸族のタイノ族やアラワク族が住み着くようになった。彼らインディオは、島の東部バラコアで狩と漁をしたり、トウモロコシやジャガイモなどの農業をし、またユッカの根を栽培してはカッサバ・パンを主食として暮らしていた。 1492年10月27日、クリストファー・コロンブスが第一次航海時に、キューバ島を発見した。この時、キューバ北岸バリアイ湾に上陸したコロンブスは、「人間の目が見たもっとも美しい土地」と記載した。 それは現在も変わらない。キューバの上空辺りから飛行機で地上を見下ろすと、そこには息を呑むエメラルドグリーンの海が広がり、国土には豊かな大自然が見て取ることができるのである。 しかし、コロンブスの航海によって発見されたカリブ諸島は、この後悲劇的な歴史を辿るのである。 、積み重なった歴史の下には、多くの失われた魂が存在する。過酷な試練を乗り越えてきたキューバ国民の強靭な思想には、今も革命勇士の理念が受け継がれているのだ。

【ソ連崩壊、そして決断のとき】

突然、世界に予測できなかった事態が起こり、キューバを震撼させた。ソ連崩壊である。1991年に突如沸き起こった東欧共産主義政権の崩壊。それによって、キューバは最大の支援国を失ったのだ。 突如、深刻な事態が彼らを襲った。その頃、キューバの貿易は70%をソ連から、15%は東欧諸国から輸入していた.その為、崩壊はキューバ経済を危機に招き、国民の生命の存続にも関わる大波乱を巻き起こしたのだ。 ソ連崩壊当初、キューバの食料自給率は43%と現在の日本に匹敵する低さであった。 ソ連との貿易を失ったことで、石油の供給も止まった。崩壊とともに国内での石油供給が、ほぼ一夜にしてなくなったのだ。キューバ経済は深刻な不況に突入した。更に米国は、キューバに更なる制裁を加え、自由民主連帯法(ヘルムズ・バートン法)を成立させて、経済封鎖に拍車をかけたのである。それまでラテンアメリカ諸国で一番豊かだった暮らしは一転し、国は壊滅間近の暗黒時代へと突入するのである。 その間、食料不足によって国民は平均9sも痩せ細った。その事態から逃れるために、命を張って、筏で90マイル(144km)先向こうのマイアミを目指す亡命者が後を絶たなかった。 世界中が、そんなキューバの動向を見つめた。外貨収入のほとんどを占めていた砂糖の輸出額が一気に従来の半分以下になり、原油輸入は1300万tから300万tまで減少した。そんな危機の打開策としては米国との関係修復、すなわちキューバの妥協しか残されていないように思われた。しかし、そんな安易な予想を覆すよう、キューバは驚くべき策を取ったのだった。 フィデルは、キューバ経済を全体的に見据えた上で、抜本的に再構築を図ろうとした。いわゆる自立への道である。不安と苦しさにおびえる国民に、まずは革命精神を持って団結することが危機を乗り切ることだと訴え、再構築に向けた政策を急ピッチで進めていった。 まずは、中央管理の社会主義計画経済に見切りをつけて、市場制度付きの社会主義経済という段階的な市場経済導入に踏み切り、更に1993年には、キューバ人の米ドル所有と使用、自営業と農産物市場の開放を認める法律が通過した。また翌1994年には、米ドルの収入と収益に対する課税が行われるようになり、1996年9月には外国企業による事業の所有と活動及び不動産の所有までもが一時的に認められるようになったことで、キューバの経済は著しくも厳しい不景気から抜け出していったのである。  政策を進める中、食・教育・医療・エネルギーに関する問題にも徹底して策を打ち出した。その結果、国民の暮らしは安定を取り戻していったのである。その策は、世界でも類を見ない発想の転換を行ったことによる奇跡の結果をもたらしたのである。

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