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独立戦争の父 カルロス・マヌエル・デ・セスペデス

【Carlos Manuel de Cespedes:1819−1874年】

19世紀後半にさしかかると、スペインが植民地とするラテンアメリカ諸国で奴隷解放や独立が盛んに進められた。そんな中、キューバとプエルトリコはだけが、まだスペインの植民地となっていた。そこで、他のラテンアメリカ諸国で移住していたスペイン支持者たちが、以前の植民地を離れて次々にキューバへやって来たのだ。 キューバにおける最初の独立戦争は1868年10月10日、富裕な製糖工場の所有者であるカルロス・マヌエル・デ・セスペデスによって始まった。 カルロス・セスペデスは、バルセロナ大を卒業後、1843年マドリッドで行われた革命運動に参加したことで逮捕されてしまう。投獄された後にキューバに帰国し、1967年4月、オリエンテ地方で独立運動に向けた秘密結社『ブエナ・フェ』を結成する。 1868年10月10日、カルロス・セスペデス指揮の下、第一次独立戦争が始まる。 カルロス・セスペデスは、「自由万歳!」と叫ぶと、37人の同志とともに自らの工場で働く奴隷を解放して、反乱軍を組織した。その数147人。その後、カルロス・セスペデス指揮の下、部隊はマンサニーリョ郊外に進軍し、ヤラの町などを制圧する。その後もバヤモ市内の蜂起とともに警察や守備兵の駆逐に成功する。そんな反乱軍の動きはニュースとなって国内に一気に伝えられ、たちまち反乱軍への参加者が4千人を越えるほどになる。 カルロス・セスペデスは、独立と奴隷解放を唄った『ヤラの叫び』を宣言する。 「キューバ革命は、キューバの独立を宣言するに留まらない。自由が一部の人々にのみ限定されている状態もまた許容し難い」更に、「自由の国キューバは、奴隷制のキューバ国と両立しうるものではない。それ故に、ここに奴隷制の廃止も宣言する」と述べた。 1873年10月、キューバ保守勢力との会見の席で、敵対姿勢を取ったことで独裁的権力が批判されるようになり始めて組織から解任させられる。その後も革命軍とともに闘う中で戦死するのである。 その後も独立戦争は続いた。その間10年、キューバは紛争に明け暮れ、20万人が犠牲になり、1878年、スペイン政府からの妥協案であるサンホン条約を承認することで、独立戦争は終結した。 この戦いで多くの勇者が誕生する。中でも有名なのが黒人のアントニオ・マセオ、ドミニカ出身のマキシモ・ゴメス、そして、偉大なる思想家ホセ・マルティである。


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